
こんにちは。ずぼらママのゆーちゃんです。
今回は、次女:おと(0歳7ヶ月)の出産時の
ことについてお話ししようかなと思います。
恐らく、最後の出産なので、
思い出としても残しておきたいなと。
2024年12月28日
粘液栓が出る。
おしるしは第一子から知っていたけど、
粘液栓は初めてだったので、
1から調べました。
おしるしではないけれど、
出産が近づいていることには
代わりなかったので、
宿直中だった夫に連絡!
宿直明けに消防団の夜警があったけど、
休んでもらいました。
2024年12月29日
宿直から帰ってきた夫と、
義姉、つきと一緒に、
夜、家から近いところにある
焼き肉屋さんに食べに行くことに。
この日、1日ずっとよくお腹が張ってました。
前駆陣痛かなぁ?と思いつつ、
出産も2回目だったので
そこまで焦ることもなく
焼き肉が大好きなので
ウキウキで行きました(笑)
それに、外食も生まれると
なかなか行けないし。
という気持ちもありました。
おいしく食べていると、
お腹の張りが強くなってきました。
『あれ?なんか痛い。』
陣痛間隔を計るアプリで計ると、
10分だったり、15分だったり
バラバラだったので、
やっぱり前駆陣痛なんだろうなと思って、
お肉を食べ続けました。
でも、いつもの前駆陣痛に比べて、
やっぱりお腹が張るのと、
間隔はバラバラでも痛みの強さが強い。
これは、おかしいな。。
と思ってたんだけど、
お肉も食べたい←
なので、やっぱり最後まで食べました。
それも必死に。(笑)
お会計が終わって、車に戻るとき、
一気に歩くのが困難になるほどの
腹痛に襲われて、
これはやばい!!と思って
周りの手を借りながら
どうにか車に乗りました。(迷惑)
家に着き、
陣痛アプリで間隔を計ると
4分~5分だったので
急いでシャワーを浴びて、
病院に電話しました。
助産師さんが
『すぐに入院グッズを持って
病院に来てください!』と言われたので、
夫が2階から荷物を持ってきて
用意をしてくれました。
準備の間も義姉さんが
腰をずっとさすってくれてました。(感謝)
つきはつきなりに
一生懸命考えて、
タオルケットを持ってきてくれたり、
『ママ、何かほしいものある?』
って聞いてくれたり、
必死で色々してくれました。
夫の準備ができたら、
すぐに車に乗って病院に行きました。
病院に着くなり助産師さんが
『経産婦だから
生まれるの早いかもしれないから、
病室に行かず、
このまま分娩室に行こうか。』
と言ってくれたので、
分娩室直行しました。
子宮口も4cm〜5cm開いていたので、
早く生まれるかな?と私も期待しました。
つきのときが30時間越えだったので、
嬉しかったのを覚えています。
ですが、、。
子宮口7cm〜8cmまで
順調に開いたものの、
そこから陣痛間隔も縮まらず、
子宮口も開かず・・・
4、5時間痛みとの闘いでした。
痛みというか、
いきみ逃しをするのが
苦しくて苦しくてたまりませんでした。
心が毎回折れそうになる中、
助産師さんが付きっきりで
いきみ逃しをしやすいように、
恥骨のマッサージをしてくれて、
夫が陣痛が来るタイミングで
テニスボールを当ててくれたり、
水分をくれたりして
どうにか乗り越えていました。
先生の指示で、
陣痛促進剤を打ちました。
今までにない陣痛の痛みで
過呼吸にならないようにするのに
必死でした。
色々と私の中で限界を越えているのに
子宮口が全開にならず。。
痛いし、辛いし、たまらなかったです。
そして赤ちゃんも
呼吸が弱くなってきているみたいで、
酸素マスクをされました。
助産師さんが
『お母さん!赤ちゃんのために
たくさん酸素を送ってあげて!
呼吸に集中!』と言われました。
痛いけど、
赤ちゃんのため!頑張れ自分!
と自分を奮い立たせて呼吸をしました。
それでも、子宮口は開かないまま。。
時間が経ち、助産師さんと先生が話をして
『○○さん。そろそろ、いきもうか。
赤ちゃんを出してあげよう!』
と言われました。
まだ全開ではないのに・・・
とか考える余裕もなく、
いきんでOKの許可がおりたことで
『おっしゃあ!いくぞぉ!
待ってて赤ちゃん!!』
と耐えるスイッチから戦闘態勢のスイッチに瞬時に切り替わりました(笑)
生む体勢に変え、
陣痛が最大になるタイミングで
『はい、いきんで!!』と言われ、
おもいっきりいきみました。
出産前はお股が裂けることが
怖かったけど、
そんなもん、
気に留める余裕なし(笑)です。
それを4回ぐらい繰り返しました。
『○○さん!赤ちゃん生まれるよ!
目を開けて見てあげて!』
と教えてくれたので見ながらいきむと
ニュル!っと赤ちゃんの頭が見えました。
最後にもう一回いきむと、
全身が出て生まれてきてくれました。

すぐに産声が聞こえなかったので、
不安になりましたが、
数分後、元気な産声を聞くことが
出来ました。
苦しい時間が終わったのと、
早く会いたかった赤ちゃんを
抱くことができて
感動と安堵といろんな気持ちが
混ざって泣いてしまいました。
2024年12月30日午前3時11分
体重は2424gで小さな女の子でした。
最後まで頑張れたのは、
夫と助産師さんが
ずっと励ましてくれたから。
何度も『ありがとうございました』と
お礼を言いました。
夫からも『よく頑張った!お疲れさま』
と言ってくれて、
嬉しかったです。
陣痛から考えると約8時間。
分娩室に通されてから約7時間で
念願の第二子に会うことが出来ました。
そのあと、分娩台で休んでいると、
胎盤を出してくれるのですが、
お腹を押しても出なくて
常位胎盤早期剥離という
処置をされました。
お腹の中をぐちゃぐちゃに
されるような痛みで、
悲鳴をあげました。(苦笑)
失神するかと思うぐらい痛かったです。
無事、胎盤も出て数時間休んだあと、
病室に通されました。
アドレナリンが出ていたので、
一睡もできませんでした。(笑)
ここから、育児が始まるので
本当に母親は休むことが
できないなと思いました。
でも、それ以上に十月十日
一緒に過ごした我が子のお世話を
することができる楽しみの方が
大きかったです。
泣き顔、寝顔、いろんな表情を
見せてくれる幸せは、
計り知れないですね。
つきのときには、
あまり経験ができなかった授乳も
たくさんしてあげたい。
大変だけど、楽しみがいっぱいです。
後から聞きましたが、
私の体質なのか、
子宮口がとても柔らかかったので
全開でなくても出産をすることが
できたみたいです。
もし、固かったら、
まだまだかかっていたし、
赤ちゃんは、どんどん元気が
なくなってきていたので、
危なかった。と
助産師さんが教えてくれました。
本当に柔らかくてよかった(涙)
これが、
次女:おとを生んだときのお話しです。
別投稿で、
出産から退院までの、
つきとの思い出も
書いていきたいなと思います。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございました。
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